【鎌倉殿の13人】静御前とはどんな人?義経との幸せな恋の行方

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022年1月9日スタート)で、鎌倉殿(源頼朝)の弟として登場する源義経の愛妾、静御前とは?平安後期から鎌倉時代初期を悲しくも強く生きた、ひとりの女性をさぐります。

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鎌倉殿の13人に登場する静御前とは?

静御前は源頼朝(鎌倉殿)の弟、源義経の妾で、白拍子という舞の名手でした。母の磯禅師も白拍子です。

白拍子とは、平安末期から鎌倉時代にかけて流行した舞で、それを歌い舞う人のことです。貴族の屋敷に呼ばれることも多く、見識や教養の高い者も多くいました。

頭に烏帽子(えぼし)をかぶり、水干(すいかん)という装束を身に着け、太刀を腰につけた男装姿で舞をおどります。

白拍子イラスト

静御前と義経の出会い

静御前と義経が出会ったのは、都(京都)の神泉苑です。平安京を造営する際、大内裏(だいだいり:天皇の住居である内裏と政府官庁の置かれた一区画)近くに作られた禁苑(天皇が訪れる庭園)です。

ここは、どんな日照りの年でも涸れることがない、竜神の住む池といわれ、天皇や貴族が訪れる場所です。

京都の二条城の南側に位置しています。

神泉苑
京都市中京区御池通神泉苑町東入る門前町167
TEL:075-821-1466

 

1182年、日照りに苦しんでいた日本中の人々のため、都の神泉苑で「雨乞い」が行われました。

100人の美しい白拍子を集めて、雨乞いの舞をさせましたが、99人が舞っても効果がありません。あと1人ぐらい舞ったとしても効果があるのかという意見もありましたが、舞わせてみました。

ところが、静御前が舞うと、にわかに雨雲があらわれ三日間雨が降り続いたのです。

これを見ていた義経が、静御前にひとめぼれしてしまいます。

静御前と義経の切ない別れ

源義経は父、源義朝が平治の乱に敗れたことにより京都の鞍馬寺に預けられておりました。静岡県の黄瀬川で22歳の時、富士川の戦いで勝利した兄頼朝と対面します。

兄の鎌倉殿(源頼朝)のもと、打倒平氏めざして挙兵し、一の谷の戦いなどで数々の武功をあげ、それまで無名だった義経の名が広く知られるようになりました。

その後、瀬戸内海の屋島に拠点を置いていた平氏を奇襲で破ったのち、長門国彦島(山口県下関市)に向かって、ついに平氏を滅ぼしました(壇ノ浦の戦い)。

ところが、平氏を滅亡させたヒーロー義経は、許可なく官位を受けたり、まわりの意見を聞かずに独断で行動するなどの行為が、鎌倉殿(頼朝)の怒りを買ってしまいます。

多くの武功によって人気者となった義経に、法皇や武士たちの信用が集まることは、武家政権を確立しようとしている頼朝にとって、脅威となるものでした。せっかくまとまりかけていた武家政権が、また分裂してしまう危機を感じていたのかもしれません。

そして、ついに頼朝より義経追討の命がくだります。

義経一行は大物浜(兵庫県尼崎市)から九州へ向かいますが、船が難破して出港できず、四天王寺に宿泊します。

一行は山伏に身を隠し、大峰山を越えていきますが、大峰山は女人禁制で静は入ることができません。

義経は家来と財貨を与えて、安全に静を都へ帰そうとします。しかし、途中家来に財貨を奪われ、静は雪の山中に放り出されてしまいます。

何とか蔵王堂にたどり着いた静御前は捕らえられ、母の磯禅師とともに鎌倉に送られました。

鶴岡八幡宮で舞う静御前

1186年4月8日、静御前は頼朝により鶴岡八幡宮社前で、白拍子の舞を命じられます。静は歌を詠みます。

 

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

吉野の山で別れたあの方が恋しい、静、静と繰り返し呼んでくれたあの方と穏やかに過ごした過去が戻ってくればいいのに

 

義経を想う歌をうたって頼朝を激怒させましたが、頼朝の妻、政子が取りなします。

「私が静御前の立場であっても、あのようにうたうでしょう」

このとき静は義経の子を身ごもっていましたが、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じます。

閏7月29日、生まれたのは男子。安達清常が赤ん坊を受け取ろうとしますが、静は泣き叫んで離そうとしません。静の母、磯禅師が赤ん坊を取り上げて清常に渡すと、赤ん坊は由比ガ浜に沈められてしまいます。

静は失意の中、京都に帰されましたが、その後の消息は不明です。

「鎌倉殿の13人」静御前の生涯まとめ

神が宿るといわれる神泉苑で義経と出会い、頼朝に追われて雪の山中を逃げた静御前。捕らえられ、頼朝の前で、義経を想う歌をうたったのは決死の覚悟だったに違いありません。

強い女性のイメージがある北条政子ですが、同じ女性として静御前に対して、優しい一面を持っていたのですね。政子自身、周囲に反対されて頼朝と結婚した過去を静御前に重ねていたのかもしれません。

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